世界のねじを巻くブログ

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インターネットにはベンチが必要だ。

ウェブの未来について

ブローガスト最終日ということで、
インターネットの現状やこれからの可能性について書かれた
スペンサー・チャンという海外の方のエッセイを紹介してみようかなと。

・The Internet has no benches | spencer's paradoxes

open.substack.com

「人間中心のインターネット」や「tiny internet」という考え方を推進されている方。

この方がSubstackに投稿された
「インターネットにはベンチがない」というタイトルのエッセイについて、
印象に残った部分を載せていきます。

(※下記文章は英語原文をグーグル翻訳したものを手直した日本語訳になります)

インターネットはその純粋さを失い、ログインすること自体が生き残りをかけた戦いのように感じられる。

ほんとにそう。

 

私たちは常に互いを探し出し、助けを求める声に応え、笑いと議論を分かち合う方法を見つけるだろう。終末映画で共通して描かれている人類の特徴が一つあるとすれば、それは生き残ろうとする意志だ。

 

インターネットは、現実世界では決して出会うことのない人々を、世界規模で結びつけるという他に類を見ない機能を持っている。

インターネットの「世界中の知らない人と気軽に交流できる」という特徴は、
今の時代でも十分に価値はあると思う。

 

インターネットの真価は、私たち一人ひとりの個性的な違いを育み、それらが共存することを可能にする点にある。単一文化ではなく、私たちは多面的な集合的ネットワークを形成し、相互に繋がりながらも同化を強いられることはない。この多様な文化の世界は、新たな違い、ハイブリッド、そして繋がりを生み出すニッチな分野を育むのだ。

かつての個人サイト、ブロゴスフィアがそういうものを担っていたけれど。

 

しかし、インターネットは過剰に発展し、統制されすぎている。
まるで人よりも車を優先する都市のように、インターネットを利用するということは、搾取を目的とした管理されたアプリや検索エンジンを利用することを意味している。
ベンチには棘が張り巡らされており、休む場所などない。
私たちにできるのは、フィードに没頭し、目が血走るまでスクロールバーをひたすらスクロールし続けることだけである。

あまりに商業化されすぎてるのよね、今のインターネット(特にSNS)は。

 

yomoyomoさんも書かれていたけれど、

wirelesswire.jp

「ソーシャルメディアはつながりを約束したが、もたらしたのは疲労感だった」
というのは本当にその通りだと思う。

ただそこに絶望して、
「暗い森(閉じた空間)」ばかりのインターネット空間になってしまうのは
どうも避けてほしいなと個人的に思ってはいて。

ソーシャルメディアの終焉は、より人間らしい何かの始まりになるかもしれない。それは、そもそもなぜ自分たちがネットに接続したのかを思い出させてくれるウェブだ――収奪されるためではなく話を聞いてもらうため、バズるためではなく仲間を見つけるため、ただスクロールするためではなくつながるための場だ。私たちはこれらのシステムを築き上げたのだから、より良いものを築くことは間違いなくできる。問題は、私たちがそれを実行するか、それとも溺れ続けるかだ。

そう、今の時代でもより良いインターネットを作ることはできるよ、
という話につながります。

 

インターネットにはベンチが必要だ。

 

ゲリラ的な公共改善プロジェクトが公共空間にベンチを設置したり、放置された交差点に植栽を復活させたり、ゴミ捨て場を近隣住民の集いの場に変えたりするのと同じように、私たちもデジタル空間を改修し、再構築することができるのだ。

 

おそらく、まずは、大文字のインターネットを、はるかに威圧感の少ない小さなインターネットに分割し、そこでオンライン上で共存し、互いに関係を築くための新しい形を実験することから始めるのが良いだろう。

 

・・・長々と引用したけれど、

端的に言えば、
オンライン上のオープンな「サードプレイス」の欠如
に集約できるのはないかなと。

今のインターネット空間には、
"ゆっくり休みながら、自分の好きなタイミングで見知らぬ人と会話ができる"
ベンチのような場所がほぼ存在しない。

ただ、少しずつでもより良いウェブ空間を作ることはできるよ、
というのがSpencer Changさんの言いたいことだと思う。

私たちは、インターネットを一つずつ、共に形作っていくことができる。
自分たちの公園、カフェ、食料品店、滝、山々を創り出すことが可能である。
私たちは、利用者としてではなく、未来の世代のために住まいを守る管理者として、それらを大切に守っていくことができるのだ。

 

インターネットは現実世界からの逃避場所ではない。
私たちはオフラインになって草に触れ、友達と時間を過ごし、そしてまたオンラインに戻って、遠く離れた世界の友達や見知らぬ人たちとほんの一瞬だけ出会う。
一度きりの出会い。一期一会。

 

nejimaki.me

 

最近ブローガストについての感想を書いてくれた方も、
偶然同じようなことをつぶやいていたので軽く紹介。

sizu.me

SNS、もちろん趣味の人が大半だろうけど、趣味の場もすぐにビジネスに切り替わる事多くて、なんか... 遊んでた公園どんどん商業ビル建つじゃん、
みたいな気持ちになることままある

 

2年前の時点でもずーっと感じてたことなので、おそらくもう少し前ぐらいから、インターネットで遊んでた公園がなくなっていく感じがあってすっごい寂しい気持ちを抱いていた。
今はもう生活のインフラになりかわってるから仕方ないかなと思っているけど、それでもゆっくりできる休憩所のような遊び場は、現実と違う場所に置いておきたいと思ってたから、同じように遊び場や情報交換やおはなしをしたい人って探せばいるんだなぁ、という空気を感じ取れました。

これ、インターネット老人会の人のみならず、
インスタグラムやTiktokをスクロールしている若者も、
心の底で感じていることではないでしょうか?

 


 

うめきた公園

最近、巷では 東京 vs 大阪 論争が巻き起こっているみたいだけれど、
あの一等地にうめきた公園(グラングリーン)という、
みんなが憩える公園を作ったのはやっぱり英断だったかなと。

インターネットもこれを見習ってほしい。


 

最近で言うと、はてな社がサービス開始させたはてなパークス

しんどくない牧歌的なウェブ空間、的なものを模索して設計しているように思うし、
どうやら世界もその方向に向かいつつある気がしている。

ビル群がそびえたつメガロシティがウェブ空間にあってもいいとは思うけれど、
芝生とベンチ、そこに小さな屋台があって、
みたいなゆるさが今こそ求められていると思う。

インターネット空間もそろそろ、目的を見直す必要があるのではないかと思うし、

僕的には、Z世代やα世代の人が個人サイトに夢中になる世界線がもうじき来るのではないか、と思ってるけどそれはあまりに楽観的過ぎるのかな、なんて。

・・・長くなってきたのでそろそろこの辺で。

(※この記事はブローガスト31日目のブログ記事です。
一か月間、無事に完走出来てなによりなんですが、
振り返り記事なども書きたいのであと数日、ロスタイムにお付き合いください)

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