英語と日本語の狭間で
毎月一回、なにかを翻訳するつもりでしたが、
題材を探す時間や訳する余裕がなかったので、
今回は大江健三郎の翻訳に関する文章を軽く紹介。
この『私という小説家の作り方』という本は、
"作家になった経緯"について大江健三郎自身が振り返る自伝的な一冊なのですが、
翻訳に関する章がなかなかよかったのでざっくりと。
ところが私にとっては、フランス語を読む――英語を読む――ということは、さきにいったとおり、もう一方に日本語での表現を対置してみる、ということにこそ意味があるのだった。 Kindle位置32
私には、フランス語のテキストーあるいは英語のーと日本語のそれ、そして自分(の言語)という三角形の場に生きていることが、もっとも充実した、知的また感情的な経験なのだった。 Kindle位置32
ちなみに、大江健三郎は翻訳家ではないので、
翻訳した文章を本として出版したことはないそうです。
結局、私の 辿りついた解答は、――私は自分と話すために、外国語を用いている、という不思議なものなのだった。 位置33
原文そのものだけで理解することに意味があるではなく、
読みながら母国語と外国語行き来して考えをめぐらすこと自体に価値がある、
という主旨のことを言ってなるほどな、と。
本の中にも、沢山の海外文学や詩の引用が出てくるのはそういうことなんだろうな。
自身の作品自体についても言及している部分が多く、
せっかくなので時間に余裕ができたら、
ほかに印象に残った部分や感想もざっくり追記しようかと。