【Podcastの特性】
Podcastを始めて一年半以上が経ちました。
最近ずっと考えているのが、宇野常寛さんが提唱された
"遅いインターネット"ということば。
あまりに多い情報量があっという言う間に駆け抜けていく
SNSを中心に、色んな問題が起こってしまっている現代のインターネットに、
疑問を投げかける概念です。
このインタビューがなかなか面白くて。
宇野 単に発信させれば良いということではなくて、発信の過程でいかに深く考えさせるかが重要なんだよ。
アクティブラーニングもそこに重心をおいている。ただ、それをTwitterやFacebookのSNS系は全然考えずに、とりあえず発信させれば良いという方向に行った。
結果、人々はより考えなくなってしまった。
あまりに簡単に発信できてしまうため、
Twitterなどでは心のない発言が増えてしまっています。
その点ポッドキャストは、
声で収録してから配信するので、
無感情に誰かをけなしてしまう恐れは(文字に比べると)低い気がします。
そもそもポッドキャストは
RSSを介してMP3が配信する仕組みなので、
収録してから配信しても、届くまで数十分時間がかかるようなメディア。
そして聞き終えるのに時間もかかるので、
瞬発的な素早いリプライもできないもの。
なのでリスナー側が考える時間ができる、というのもメリットといえるでしょう。
宇野常寛さんが目指すものとは違うかもしれませんが、
個人的な「遅いインターネット」的な楽しみ方として、
たとえばこんなものがあります↓
公開前の映画監督のインタビューを聞いてから
映画本編を見て、
そのあと一般人の映画感想トークをじっくり聴く、という楽しみ方。
(・・・自分で観たなら自身の番組で配信してもいいですしね。)
本人が話すインタビューは、
ニュースアプリでテキストを読むより、
「あ~聞いてよかったな」と思うことが断然多いですし、
映画の印象の残り方も全然違います。
ただ通り過ぎていくニュースサイトの情報にはない、
製作者側の意図や個人の感情が、
なによりも心に残るのだと思います。
また、流れ去っていくツイッターやフェイスブックとは違って、
積み重なっていくよさがあるのがポッドキャストの良さだったり。
僕が20世紀の終わりに、『さるさる日記』や『ホームページビルダー』でネットという大海に手紙入りのビンを流し続けていたときは、こんな気持ちだったよなあ。 何者でもない僕が書いた駄文を、この地球上の(といっても、日本語だから、たぶん日本のどこかの)見知らぬ人が読んでくれているのだなあ、ということに、とても不思議な高揚感があった。
「私が書いたものを誰かが読んでくれる」ということ - いつか電池がきれるまで
この方は文章について書かれてますが、
「自分の声が入ったビンを流しておくと、誰かが聞いてくれる」
まさにそんな気持ちでポッドキャストを配信してます。
ブログ上で文字を読んでくれるのもうれしいのですが、
声がどこかで聞かれてるのも、
文字とはまた違う不思議な感覚があったり。
"発信者の感情"が遅いインターネットを
実現するひとつの鍵だと思いますし、
作った思いや考察、
個人の感想などを伝えるにはほんとに優れた方法だと思います。
これから日本でも流行るといいんだけどな~。
興味のある方はぜひスマホ一台からPodcast配信を始めてみてはいかがでしょうか?