Paul Auster×Sam Messerの絵本
図書館で、何気なく借りた『わがタイプライターの物語』というポールオースターの本がよかったので軽く紹介。
ポールオースターのエッセイとサム・メッサーの挿絵が入った絵本みたいな一冊。
かくして私はわが古いタイプライターを使いつづけ、一九八○年代は一九九○年代になった。友人たちは一人また一人とマックやIBMに鞍替えしていった。
私は進歩の敵のように、誰もがデジタルに改宗したなかで最後に一人残った異端の徒のようになっていった。いつまで昔のやり方にしがみついてる気だい、とみんなから冷やかされた。へそ曲がり呼ばわりされ、そうでなければ、反動主義、頭の固い老いぼれと罵られた。でも私は気にしなかった。
君たちにとってよいものが、僕にもよいとは限らないさ、と私は言った。いまのままで何の不満もないのに、どうして変えなくちゃいけない?
まあ確かに。
2005年の段階でもパソコンへの忌避はあったらしく、メールやインターネットはやってなかったらしい。
さすがというかなんとうか。
それまでは、わがタイプライターに、とりたてて愛着を感じていたわけではなかった。それまでは単に、仕事をするのを可能にしてくれる道具でしかなかったのだ。ところがこうして、それが絶滅の危険にさらされた種となり、二十世紀の書く人間の使った人工物の数少ない生き残りとなったいま、私はだんだん、タイプライターに対してある種の愛情を感じるようになった。
好むと好まざるとにかかわらず、我々が同じ過去を共有していることに私は思いあたった。時が経つにつれて、我々が同じ未来を共有してもいることを理解するに至った。
これたまに思うけれど、僕らが普段使っていて、
数十年後に使わなくなってしまう製品ってなんだろうね?と考えることがある。
スマホとかはもうなくなっているだろうけど、新しいデバイスがあるなら遠慮なくそっち使うだろうしな・・・。
サムはどこへ行くにも、かならずスケッチブックを持っていく。すさまじい勢いでひっきりなしに絵を描き、何秒かごとにスケッチブックから顔を上げて、目の前にある人なり物なりを細目で睨む。
サムと一緒に食事をするということは、彼が描く肖像画のモデルになるということなのだと、みんなが承知している。私も過去七年か八年、それを何度も何度もくり返してきたので、もう何とも思わなくなった。
まんまポールオースターの小説に出てきそうな話で、とても良い。
『ブルックリンの魔法使い / サム・メッサー作』

Paul Austerを描いたサムメッサーの絵、迫力あってすごいのよ、これが。
サムは私のタイプライターを我がものにしたのであり、少しずつ、その命なき物体を、固有の性格を有し、世界のなかで確固たる場を占める一個の存在に変えたのである。
いまやタイプライターは、さまざまな気分や欲望を抱えて、暗い怒りや潑刺たる悦びを表現するようになった。その灰色のメタリックなボディからは、ほとんど心臓の鼓動が聞こえる気がする。
柴田元幸さんの翻訳もちゃんとポールオースターの世界観ばっちり。

カマンベールチーズで練り上げたようなタイプライターの絵が怖美しい。
ちなみにサム・メッサーさんの絵は、ニューヨークのメトロポリタン美術館にも展示されてたりするらしい。
僕も一度だけ本物のタイプライターを打ちこんだことがあるんだけれど、
文字を打ち込むというよりは、叩きつけて印字する感じ、というのがその時の感想。
バシン!という感じで。
授業中にタイプライターで板書する、という有名なネタ動画もあるけれど、
そりゃあれだけ大きい音で響くよね・・・。
100年以上前の機械でもそのまま使えるってなんだかロマンがあるし、
映画『バイオハザード』や映画『シャイニング』でも使われるのは納得できるというか。
確かトム・ハンクスの趣味もタイプライター集めだったような?
ちなみに日本でタイプライターを買うといくらぐらいするんだろう…?と調べてみると、新品だと20~30万円ぐらいのお値段なんだそう。
「ロマンだなぁ」と思いつつそっ閉じ。笑
全80ページほどの薄い一冊ですが、図書館で見つけたときは手に取ってみては。
オチもないけどこの辺で。
※8月に毎日ブログを書く試み「ブローガスト」3日目の記事です。www.nejimakiblog.com
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