参院選から犬の話まで
毎月恒例の(?) 読んで印象に残った はてなブロガーの記事を紹介していく企画。
・・・ということでさっそく今月分をざっと載せていきます。
(※だいたい日付順です、昔の記事も混ざってたりします)
東カメ部風の写真が記憶に残らないのは、何枚見ても「その人」が見えてこないから。
一方で純粋に「写真」の楽しみに目を向けると、写真家特有の視点や思想を感じる写真は、時代を超えて力強さを失わない。
東松照明だとか鈴木清、Robert FrankやJoseph Koodelkaなんかは被写体ありきではなく自分の視点で世界を捉えていて、何枚も写真を見ていくにつれて「その人」が立ち現れてくる。写真を眺めながら撮影者にあれこれと想像を巡らせるのはとても面白い。
別の言い方をすれば、撮影者の人柄って結構大きいウェイトを占めていたりする。写真が面白い人は、人間としても面白いし、創作に向かない人は徒競走に向いていたりする。
ゴールのない超高速な競争は徒労しか生まないので、この際「写真の楽しさ=SNSの評価」からリアルな何かに変えていければいいんじゃないか?なんて無責任なことを考えてる。
写真は本や映画と違って、一見して判断を下すこともできてしまうので、
「いいね」合戦になりやすいんだろうなと。
一枚一枚、撮影の背景や思いを語るポッドキャストとかあればいいのにな。
そうなるとどんな名作を読んでいるとしても、誰とも話したことがなければ、どんな媒体でも紹介されていないようなシーンが次々と現れるわけであって、そのたびに静かに感動するわけである。誰もが知っている作家が記した膨大な量の言葉を、自分ひとりで受け止める。自分だけが知っている感動があり、自分だけが覚えている。そんな感覚について、独特の孤独感をおぼえるのだ。
この作品が語ることを受け取っているのは、おれの知覚のうえではいまこの瞬間の自分だけだ。ああ、なんたる孤独なんだろう。
モモの作者、エンデも同じようなこと言っていた気がする。
写真の記事、みんな個性が出ていて好き。
コンデジで撮る人、リアルでのまわりにもちらほら増えてきた。
待っている犬は微動だにしない。車通りは多いが人通りは皆無な国道沿いなので、歩道のど真ん中でお座りしていてもなんら問題はない。どのくらい待っているのか。何を思っているのか。その犬にしか分からない。もしかしたら宇宙の成り立ちを理解しているのかも知れない。そう思うと犬の思考は計り知れない。
わかる・・・。
もう一つ、犬についての記事。
はじめての道ならもっと怖い。パニックになる。でも、新しいにおいがする。それが犬の刺激になっている。それがことばでなく、走り方から、往路はともかく復路でにおいを楽しむ様子から伝わってくる。
だから、人間もなるべくしっかりと頼もしくいたいと思う。犬の様子に動じず、犬が安心して横について歩けるように。犬が新しい世界に少しでもたくさん触れられるように。
ラテンに絞った大阪万博の感想記事。
僕はこの中でコロンビアとブラジルとウルグアイ、チリに行きましたが、チリ以外はどこも楽しめました。
『百年の孤独』を打ち込んだタイプライター(実物)が見れたのはほんと感動した。(みんな素通りしていたけれど・・・)
ようするに最初はどうだったかわからないがいまやリベラルは藁人形と化しており、社会で起きている問題の責任を転嫁できる便利な敵になっていやしないかということだ。
特にインターネットは敵を作り出す装置としてとても優秀である。誰かの失言や論破される瞬間などをまとめて投稿するとわらわら人が集まってくる。そうして生成されたテキストや動画に支持者がスクラムを組んで敵が愚かであることをコメントに書きこみ、いいねを押し、自分達が友であることを確認しあう。そうしてできた幻想の共同体が実政治の流れを産み、リベラルが反発を受けた選挙であるという結果が出力される。
そういう状況で、リベラルがこれからどうしたらいいのかってやっぱり難しい話だよね。
作詞したことはないけれど、かなり参考になりそう。
今年こそは、歌詞ありの曲も作ってみたい。
サウンド全体を浴びてことばを見つけ出します。テンポ感や長調、短調と言った調性から詞のヒントを得られることもあります。個々のメロディをことばに翻訳し、全体のサウンドに馴染むように一篇の詞に通訳するような作業です。
口数の少ない人でしたが船で会う時の父はいつもぴかぴかに光っていました。一度だけ空いていた船室で神戸港から名古屋港まで乗せてもらったことがあります。夜になると低気圧接近で海は大しけ、大冒険の気分でした。
写真のお父さん、かっこよすぎるな・・・。
長くなってきたのでそろそろこの辺で。
8月1日から、一か月間毎日ブログを更新する「ブローガスト」に挑戦してみようかなと。あちこちで文章を書くつもりなのでお楽しみに。