MONKEY Vol.9の感想
「死ぬまでにやりたいこリスト」にもあるように、昔から小説を書いてみたいと思っていました。しかし実際に実行へ移したことはなく、結局ただの読書をする一人として過ごしてきました。
しかし、2カ月前程に紹介した MONKEY Vol.9 短篇小説のつくり方を再読して、
「やっぱり書かねば」という気持ちが溢れてきたので、この気持ちが萎まないうちに記録として残しておきたい、と思いこの記事を書いています。
ジョーン・リドフによる短編小説家グレイス・ペイリーへのインタビュー
MONKEY Vol.9 短篇小説のつくり方より気に入った箇所を紹介したいと思います。
訳は村上春樹さんの日本語訳となります。
短編小説を書くことに関して言えば、私は自分のヴォイスではなく、他人のヴォイスに耳を澄ませることからそれを始めました。そのようにして、私は自分自身の喉をクリアにすることができるようなったのです。 P.48
小説を書いた経験のない自分単体から出るものなんて限られているので、まずはこれに倣って、他人のヴォイスに耳を傾けて行きたいと思います。
クリスティナ・ステッドは、『ケニョン・レビュー』の1968年の短編小説に関するシンポジウムのために書いたものの中で、実生活と芸術の関係性についてこのように述べています。「物語という大海」は「私たちの人生を鏡として映す無数の水滴」によって
成り立っている、と。
「短編小説がユニークな点は、我々は誰しもそれを語ることができるし、それをまた書くことさえできるのだということです。」 P.50
あなたはまた、自分が本の中で読む機会の少ないものごとについて、自分で書くことができます。自分が読みたいと思うものごとは、自分で書けばいいのです。 P.54
ブログ記事と同様に、自分の思ったように好きなことを書ける、というのがやはり醍醐味ですよね。
私が言いたいのは、その物語自体の中に、それが生まれてきた何かしらの記憶、何かしらの人の記憶がなくてはならないということです。 P.66
やはり書くなら、自分の人間性がかすかに感じられるようなものを書きたい。
僕も、以前の記事に書いたように、
僕、短編は一つだけでも、ここいいじゃんという部分があれば、それでいいと思っているんです。P.76 by 村上春樹
ブログ記事はいいところが一つあればいい - 世界のねじを巻くブログ
「いいところが一つあればいい」という精神で短編小説を書いていきます。
Kindle出版を目標に
とりあえず「2017年の8月までに短編小説を一本書き上げる」ということを目標に書いてみたいと思います。
それが500字のものになるのか、5,000字もしくは5万字になるのかは置いといて。
そんな簡単にはいかないのでしょうが、誰かの心にどすん、とぶつかるようなものを書きたいと思います。