世界のねじを巻くブログ

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星新一が"エヌ氏"を登場人物にする理由

N氏と匿名性

短編小説の書き方を学ぶ意味を込めて、星新一の小説をひさびさに読み返している。
彼の小説には、頻繁にエヌ氏が登場するのはみなさんご存知のとおり。

「エヌ氏って誰やねん」と小学生の頃から思っていたけれど、
図書館で借りた『星新一 一〇〇一話をつくった人 / 最相葉月』に興味深い論が載っていた。

なぜ名前らしい名を使わぬかというと、日本人の名はそれによって人物の性格や年齢が規定されかねないからである。貫禄のある名とか美人めいた名というのは、たしかに存在するようだ。

作品の主人公の点化が進むと、一方、物語の構成へのくふうが反比例して強く要求され、い っそうつらくなる。このタイプは作品が古びにくいかわり、発表の時点ではパンチの力が他にくらべ薄くなりがちで、それを補わなければならぬのである

『星新一 一〇〇一話をつくった人 / 最相葉月』 P295 より

 

まあよく言われることではあるけれど、
リアリズムを排除して、登場人物を記号化するという手法。

星新一は当時からそれをやっているのはほんとすごいと思う。

 

少し調べてみると、
公式サイトに寄せ書きされていた
SF作家・菅浩江さんの「星新一の切れ味」の説明も同じようなことが書いてあった。

www.hoshishinichi.com

 

例えば、エヌ氏という特徴的な主人公表記。
「誰でもない、イコール、あなたのことかもしれない」という、物語を普遍的にする意図で、ノーネーム、ノーバディのNを、日本語の中で目立たないようにカタカナにしたものだという。
彼や彼女といった代名詞でぼかすよりも焦点が合い、惻々そくそくと身に迫る感覚を孕はらんだ優れたやり方だ。

 

通俗性の排除はよく言われることで、具体的な地名や人名は出していない。 金額も具体的にいくらと書かずに、大金、などと描写する。 このことで彼の作品は、社会情勢が変化しても、いつまでも読み継ぐことができるのだ。 現実世界が変わることを前提として作品を書くというのは、いかにもSF作家らしいビジョンを自分自身で実行しているように思える。

 

エヌ氏、という響きはちょうどよい気がするし、なおかつ覚えやすい。
ある種の発明だよな と改めて思う。
(こういうのをやり始めたのは誰かは知らないけれど)

 

「アール氏」「エフ氏」「おれ」とかどれぐらい登場人物がいるんだろう??
・・・と色々調べていると、『星新一作品登場人物索引 』なんてものもあるらしい。

(5000円ぐらいして笑える)

www.db-japan.co.jp

 

話は少し飛ぶけれど、
匿名性で書くことのメリットや、それが開く可能性みたいなものを書いた
このSubstackのこのエッセイも面白かった。

www.henrikkarlsson.xyz

ペンネームは深い歴史を持つ「社会技術」である、という話で、
自分も「ねじまき」というハンドルネームを使っているからこそ、
書けることがたくさんあるなぁと改めて。

 

 

エヌ氏は善良であり、また平凡きわまる男だった。
ある、なんということもない朝。いつものごとく、エヌ氏は目をさました。
なんということもない目ざめでなければならないはずなのだが、その日は、大いにちがっていた。
「けちな願い」より

 

長くなったわりには何を言いたいか分からなくなってきたし、
時間もないのでそろそろこの辺で笑

 

www.nejimakiblog.com