ブログに書き残すことの意味
文学フリマ東京37で配布されたはてなブログ本、『 わたしがブログを書く理由』。
文学フリマで紙の書籍が配布された以外は、
掲載された人にのみ、はてなからPDFが送られてきた幻の(?)一冊。
休みの日にキンドルを整理していると、この本を久しぶりに見つけて再読。
どれもブログへの思いが詰まった文章ばかりで、このままみんなの記憶から消えていくのはもったいないので、印象に残ったブログ記事をいくつか紹介しようかと。
...最初は衝動から走り出して、とにかくなにかを書いてネットに放流したい誰かに読んでほしい、というのがブログってもんじゃないか。形式や理由はあとからやってくる。
日常のなかでさまざまなことを考え、思考し、感じ、自分の思いとしてまとめている。無口なぶん、人よりも多くものを考えている(悲しい理由だな)。
人に見られることを意識しないと、ただのメモになってしまい、後で読み返したくならないのも理由だ。人に読まれるということは、読みやすい文章を、読みたくなるように意識して書くから、後で読み返しても圧倒的に読みやすい。
オードリーのオールナイトニッポンで、若林さんが、こんなことを言っていた。
「一人になって、喫茶店で自分の考えや思ったことを書く時間がないと、コメントを求められた時に適切に言葉にできない。だからこの時間が自分にとってすごく大事。」
その場でぱっと弾ける火花や閃光のような強い言葉ではなくて、「そこにある」という気配がある文章を私は読みたくて、インターネットを回遊しているのではないか。
そのようにして、書き続けていると誰かと目が合うことはあるのだと思う。駅前の喫茶店に決まった時間に現れる人たちのように、知り合いにはならずとも「あ、あの人知っている」という気配があるだろう。そういう文章が読めたらいい。だから、私も書きたい。そういう文章を読むために、私が、書き続けるのだ。
ひとつだけ言えることは、僕は、僕が見たこと、聞いたこと、思ったことを書いている、ということだ。
あと、「人間なんてみんな基本的な構造は似ているし、同じようなことを考えている」が、「人間ひとりひとりは近づいてみればみんな違っていて、それぞれ、宇宙にも匹敵するような記憶と経験、思考を抱えている」ということ。
でも、僕はそれが自分とともに、そういう「ささやかな日常の記憶」みたいなものが、この世界から完全に失われてしまうのが悲しい、と思うのだ。
でも、僕は、僕にしか書けない、僕とともに世界に存在し、いずれは消えていくであろうことを書かずには、記録せずにはいられない。
nabewata-uminapo.hatenablog.com
そこで。
時が進んでいることを実感したくて、今日も生きたし生かした、ことを「進んだ」のだと思いたくて。
始めたのが、このブログだった。タイトルは当時見た夢から取った。
坂上忍と、海とナポリタンではどちらが美しいか、という話をする夢。何それ?
そこから、なんとなく他の友だちにもブログのことを話すようになった。みんな「読んだよ!おもしろかった」「更新楽しみにしてる!」など褒め上手なので、チョロいわたしは一層、また書こう!と思う。
わたしは書くことも、読んでもらうことも好きだから、ブログを書いています。「おもしれー女」と思ってもらえたら、恥ずかしながらとても嬉しい。
そういう心持ちで文章を書いているときだけ、どこか遠い場所へ行っている感覚がある。あるいは、ふだんぴったり閉じている扉が開くような。
行きついた考えは、どこかで見聞きした言葉かもしれない(たぶんそう)。それでも、何かをつかまえた気持ちになれるのは、ブログを書いているときだけだ。
めんどくさがりで飽きっぽいわたしがブログを書き続けるのは、このつかまえられなさに、ただやみつきになってるだけなのかも。放られたボールを犬が追っかけまわすのと、だいたい同じ原理で。
毎分毎秒更新される膨大な情報の塊であるインターネットの海に流すので、ほぼボトルメールのようなものだ。
私の言葉がどこか遠くの誰かに届けばいい。
でも、誰かに届かなくてもいい。とも思うのだ。
何故なら、自分が読むから。
機会さえあれば「ブログは楽しいですよ。」とあちこちで勧めているが、これは本当に自分自身がそう思っているから。そして、私が貴方の文章を読みたいからです。
そしてなにより、未来の貴方が待っているからだと、そう強く思うから。
個人の日常というのは、書き留めなければ簡単に霧散する。写真や動画で撮るのもいいが、そのときの内面までは記録できない。だから書く。書いて残す。記述されたテキストこそが、記憶や感情といった人間らしさを最も高い解像度で記録できると思っている。
同質の空間に、わずかな差異を残しておくことこそが目的であり、「わかりあえなさをつなぐこと」がしたかった。それは別に多くの人の目につかなくても構わない。残しておけば、いつかどこかで誰かの目に触れるかもしれないという、その可能性だけで、書くに値すると思っている。
インターネットの片隅に、わずかでも差異を生み続けていたい。エコーチェンバーから脱して、わかりあえなさを抱えて生きていきたいのだ。
ねじまきブログから掲載して頂いた記事はこちら。
過去に対しても、未来に対しても、そして現在にも、離したくない執着心があって、書き残すことでけじめをつけられているというか。
ちょっとダウナーな記事なのに、取り上げてくれたはてな編集部はさすが。
・・・というか、このアンソロジー自体が全体的に内省的なつくりで、
文フリの読者を信頼したからこそできた本なのだろうなぁと。
『わたしがブログを書く理由』の本には、
全部で17のブログ記事が収録されているので、
紹介したのはあくまで半分ほどだけど、どの文章もほんとに良かったなと。
最後に「あとがき」からの引用で終わろうかなと。
このように、はてなブログは、あなたの思いや考えをさまざまな方法で 発信し、長く残すことができる場所です。知らない、あるいは知ってい る誰かが綴る何気ない日常の面白さを楽しんだり、自分と同じような興 味関心を持った人が熱く語る姿に心を打たれたり、いろいろな楽しみ方 があります。気になったらぜひ、はてなブログに遊びに来てください。 そして、あなたの自由な感覚で、書きたいことを思いっきり書いてください。
以前の「はてなブログの日記本」振り返り記事もよければ。