世界のねじを巻くブログ

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ブログや日記を書かない人生が想像できない。

ブログを書く理由

「日記やブログを書いている」と話すと、「マメだよね」なんて言われることが多い。

でも僕からすると、むしろ世の中の大多数の人が
”日記もブログも書かずに過ごしている”、
という事実の方がいまいち信じられない。

 

みんな昔のことをばっちり覚えているのか、
それともあんまり過去に執着がないのか。

 

ただ、僕はブログや日記を書いているので
ペルーで飲んだピスコサワーの味、
大学時代の友人が亡くなったときの話、
『君たちはどう生きるか』を見た後、箱カラオケで恥をかいたこともありありと思い出せる。

 

日記といっても、
スマホやほぼ日に単語と文章の出来損ないみたいなものを羅列しているだけなので、
いっこうに文章はうまくならないし、完全に自己満足でしかないんだけれど。

 

それでもブログや日記としてそれなりの文章を残しておくことは、
自分にとってはそれなりの意味があったから続いているんだと思う。

 

 

YoutubeやTiktokなど動画の時代の今、
「文字だと味気ないな」と我ながら思うことがなくはない。

なので映画『オデッセイ』のマット・デイモンに憧れて
"Vlog"をやってみたいなと思い試してみたことはあるけれど、
結局は照れくさくてすぐに辞めてしまった。

 

やっぱり手軽にどこでも書けるテキスト(文章)に落ち着いてしまうんだよね。

 

 

・・・話が飛んだけれど、
逆にブログや日記を書かない人は、どうやって昔のことを思い出すのか不思議で仕方がない。
僕からすると、セーブデータを残さず、ゲームを続けているぐらいの感覚に思えてしまう。

 

実際、何もしなくても頭のどこかに残っているのかもしれないけれど、
やっぱり形として残しておかないと、記憶の鮮度は失われてしまう。

それがもったいなくて、ブログを続けているところもあるかもしれない。

 

2022年に食べた美味しいものをまとめた「ごちそうフォト」の記事、
これなんかも年末に見返すことになるだろうけど、
ちょっと読むだけで幸せになれる。

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こうやってブログ記事を振り返る度に、

「せっかくやったことは、後で思い出せるように記録として残しておきたい」

という気持ちが人一倍大きいのだな、と実感する。

 

身も蓋もない言い方をすると、
ある種の"貧乏性的なそれ"なんだろうなと書きながら気付いた。

 

過去に対しても、未来に対しても、
そして現在にも、離したくない執着心があって、
書き残すことでけじめをつけられているというか。

 

あとはやっぱり、
日常生活では話題にできないようなことも、
自分の思いのままに、好きな分量だけ書けるのがブログのいいところだよな、
ここまで書いていて思う。

きれいなオチはつかないけれど、だいたいそんな感じ。

 

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

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