本を読む意味とは
どうも、ねじまきです。
数秒で答えを取り出せる人工知能の時代に"わざわざ1冊何時間をかけて本を読むことの意味って何なのか?"を少し考えてみました。
(※この記事は 生成AI Advent Calendar 2025 - Adventar 19日目のブログ記事です)
海外でも話題になっていた記事だけど「毎日趣味で読書をしていた人の割合が、40%以上も減少していた」という研究結果が出たらしい。(どこまで信用おけるデータ化はさておき)
1冊読むのに何時間もかかる本、一見タイパもコスパも悪いのに、なぜ
Kindleハイライトを検索して、"読書の意義"みたいなものについて考えさせてくれる本をいくつか引用してみようかなと。
・『読書の価値 / 森博嗣』
つまり、自分の時間と空間内では経験できないことであっても、他者と出会うことによって、擬似的に体験できる。人を通して知ることができるのだ。これが、群れを成している最大のメリットだといえる。
さて、そんな未来において、「本」は、限りなく「人」に近づいているはずだ。一冊の本ではなく複数の本で、あるいは本以外のものを含めて、仮想の人格となって、ユーザの相手をしてくれるものになるだろう。
連想のきっかけとなる刺激は、日常から離れたインプットの量と質に依存している。そして、その種のインプットとして最も効率が良いのが、おそらく読書だ、と僕は考えているのだ。
小説は、すべてが一人の頭脳から生まれる。結局、人は人に最も興味を示し、人に憧れ、人に導かれたい、と願うものだ。
普段出会えない体験を疑似的に体験できるちう魅力。
この本は2018年に書かれた内容だけれども、AIについての言及があるのも面白い。
読書は、読み手の精神に、その瞬間の傾向や気分にまったくなじまない異質な思想を押しつける。ちょうど印章が封蝋に刻印されるように。
さらに、紙に書き記された思想は、砂地に残された歩行者の足跡以上のものではない。なるほど歩行者がたどった道は見える。だが、歩行者が道すがら何を見たかを知るには、読者が自分の目を用いなければならない。
作者の思考を追う過程にこそ価値があるので、
いきなり目的地についてもあまり意味がないという話はほんとうにそうだと思う。
逃げ出さずに最後まで話を聞くとどうなるか。それは「体験」としてしっかりと刻み込まれます。読書は「体験」なのです。実際、読書で登場人物に感情移入しているときの脳は、体験しているときの脳と近い動きをしているという話もあります。
AIが出てこようが出てこなかろうが、「自分の人生をいかに深く生きるか」が重要なのではないでしょうか。
読書の楽しみは、その本のワールドをじっくり味わうことです。 いわば「 味読」です。深い世界に触れて、それを楽しむ心が必要なのです。そういう心がないと、それだけの時間とエネルギーを割けないでしょう。
同じ本の中で、宮崎駿監督によるこんな文章も引用されていた。
ただ、基本的には、ビデオのスイッチをつけるということと絵本を開いて見るということは本質的に全く違う行為だと思います。 映像は、見ている見ていないに係わらず一定のスピードで送りだされる一方的な刺激ですが、絵本は、違います。今のように子どもたちが、映像に頼れば頼るだけ、これからは現実の生活の中で、絵本を楽しむような時間が必要になってくるんじゃないですか。 (『折り返し点』 宮崎駿/著 岩波書店)
意識の底に「潜る能力」、というのは本で養われる部分は大きいと思う。
Twitter(X)だとこんな意見があったり。
「生成AI使ってると思考力が衰える」系の話、「自動車に乗ってると脚力が衰える」と同様、それなりに正しくもあり、それなりに極端でもあるわけですが。 人間の持てるさまざまな能力のうち、論理的思考力を「他の諸能力とは違う、人間を人間たらしめる卓越した能力」とみなせば、それは由々しき事態ですが、膂力や脚力や数値演算能力と同じように、機械に代替されても人間の存在意義が損なわれるわけではない能力のひとつとみなせば、いずれは「それ昔は人間がやってたよね〜」という話になるかもしれない。 んでアクセンチュアあたりは「ポスト生成AI時代の人間に求められるのは情熱、共感、倫理etc.」とか言い出している。
— muchonov (@muchonov.bsky.social) 2025-09-10T02:50:27.769Z
ポスト生成AI時代の「共感力」の重要さはよく言われることではあるけれど、
「共感する力」「感情をかきたてる媒体」という意味での"読書の価値"っていまだに失われていないと思う。
こんなツイートも。
おもったけどChatGPTは「大量言語データを確率的に平均化した、一般化された思考装置」
— 英単語の悪魔 (@eitangono_akuma) 2025年12月14日
そうすると、この時代における「本」というのは「平均ではなく、特定の人生・状況・時間が一点に収束した『非平均的な思考の記録』」…
おもったけどChatGPTは「大量言語データを確率的に平均化した、一般化された思考装置」そうすると、この時代における「本」というのは「平均ではなく、特定の人生・状況・時間が一点に収束した『非平均的な思考の記録』」だからこの時代の本の価値は、確率では再現できない「一回性の収束結果(レア体験)」にある。
これもなるほどな、という感想。
高島鈴さんのコラムが印象に残った。
『布団の中から蜂起せよ』で名を知った方。
現代社会はものすごく人の気を散らすものに溢れていて、その誘惑に打ち勝ってまで一冊の本と向き合い切るのは、実のところ並大抵の行動ではないだろう。だから読書会が流行るのかもしれないよね。他人と一緒に感想を言い合う、という予定があるなら、それに合わせて読んでいかないといけないし、そういうプレッシャーあってこそ進む読書というものは確かにあるでしょう。
最近、読書会が流行っている背景に、AIの存在があるのは気のせいではないと思う。
海外のこんな記事も面白かった。
・もし誰も本を読まなくなったらどうなるか?
AI時代に価値を失わない読書とは、測定可能なROIも、拡張可能な指標も、いかなる種類の直接的な市場価値も持たない読書だ。
それは人生に似ていて、その本質は物語そのものでありそれを「理解する」唯一の方法は、物語に浸り、自分自身を変えることである。
言い換えれば、魂と魂の交わり以外には何も提供できない。
しかし、もしそれを大切にできないなら、他に何の価値があろうか?
明日からすぐに役立つものになるか?といわれるとそうではないかもしれないけれど、
本でしか味わえない体験があるからこそ、本は未だに読まれているんだろうなと。
・『いまファンタジーにできること / アーシュラ・K・ル=グウィン』
ファンタジーは、善と悪の真の違いを表現し、検証するのに、とりわけ有効な文学です。わたしたちの現実が見せかけの愛国心と独りよがりの残忍さへと堕落してしまったように思われる、このアメリカで、想像力による文学は、今もなお、ヒロイズムとは何かを問いかけ、権力の源を検証し、道徳的によりよい選択肢を提供しつづけています。
想像力は倫理について考えるのに役に立ちます。戦いのほかにたくさんの比喩があり、戦争のほかにたくさんの選択肢があります。そればかりか、適切なことをする方法のほとんどは、誰かを殺すことを含んでいません。
ファンタジーは、そういうほかの道について考えるのが得意です。そのことをこそ、ファンタジーについての新しい前提にしませんか。
『闇の左手』を読んだ後に、
ゲイがどうだとか、トランスジェンダーがどうだとか
批判するのは馬鹿バカしくなってくるはず。
新たな視点を見せてくれる強さが、間違いなくあの本にはあるし。
"反AI"の人みたいに思われたくはないので、一応良い方向のAIニュースも少し。
Kindle端末のAI機能がアップデートされるという話。
否定的な意見が多いけれど、個人的にこれ自体はアリなんじゃないとか思ってて。
「ヘンリーって誰だっけ?」
「ここまでのあらすじを教えて」
「この警句は聖書の引用だったりする?」
「ブライトンビーチってどんなところ?」
「表現がわからないんだけど、簡単なことばになおしてくれる?」
とか、まあそういう質問で出来そうなことは色々ありそう。
例えば、
「ブライトンビーチ」と聞いて情景がパッと浮かぶ日本人は少ないだろうし、
「城崎」と聞いてあの温泉街が浮かぶイタリア人はそれほど多くないはず、
地図が出てきたり、脚注+αな補足情報がスッと出てくるなら、
それは良い方向のAIの使い方だと思う。
そういう意味で、これからの「読書体験」というものが大きく変わってきそうだとは思うし、AIのちからで"対話できる本"というのは当たり前になってくると思う。
(実際に海外ではそういうサービスがいくつか出てきたりしているし)
まあとにかく、
ここ3年で読書体験というものは良くも悪くも大きく変化するだろうなと。
まあ楽しく本が読めたら、それ以上のものはないよね。
長くなってきたので、そろそろこの辺で。