世界のねじを巻くブログ

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"クラフトインターネット"という古き良きウェブへの回帰運動に期待している。

個人ブログのこれから

古き良きインターネットを掘りおこす」を2024年の目標の一つにしていたので、新年はそういう記事を書いていこうと思っている。

・・・とそんなこんなでネットをさまよっていると、
クラフトビールやクラフトコーラ、ナチュールワインと同じように
あの"手作り感"をWebの世界でも再現しようとする流れが生まれつつあるを知った。

kakijiro.net

どこまで強欲に繋がり続けるインターネット。懐古主義で過去を懐かしがっても仕方がないからこそ、囲まれすぎたシステムから一歩踏み出す姿勢が大事なんだろう。元々のインターネットを取り戻すことはできない。利害関係に距離を置いて、空虚なつながりに見切りをつけて、手の届く範囲で自分の信じる空間をつくる。これしかない。

 

好きにいじれる土地を確保した感覚に近いような気がする。平屋の一軒家。犬がおしっこうんこしても文句を言われない。災害時にトイレが止まっても、自分の畑をスコップで掘り起こしてうんこを埋めてしまっても問題ない。種をまけば花が芽吹くし。めっちゃええやん。

 

遊びで始めた概念が転がっていけば、立派な運動のひとつになりえる。民藝運動みたいにクラフトインターネット運動が生まれるかもしれないでしょう?

 

多くの反響があったそうで、数日後にエントリーは続く。

つぎに、編集者として「URLをクリックしたときにコンセプトが伝わる見た目である」「読み進めたくなるタイトルと本文が並んでいる」「最低でも記事は5本必要だろう」と最低限のハードルを設定。

 

インターネットの思想哲学を言語化し、世の中にクラフトプレスで放り込む。呼び名を変えればテキストサイトであり、同人誌でもある。モノの見方を変えて、新しい名前をつける。自己満足の延長にある「特定少数」と「経済合理性からの脱却」が生んだ表現を作り続けることが、「人間は遊び続ける存在である(ホモ・ルーデンス)」の体現となりえるだろう。

 

参照元の徳谷柿次郎さんのHPをクリックするとわかるけれど、
灰色で落ち着いたデザインのページが見やすくて良い。

 

「note」や「しずかなインターネット」もいいけれど、
やっぱり独自ドメインで自分のサイトをつくるのが一番良いんだよなぁ。

 

はてなブログの標準的なデザインでは、
文字タイトルだけをざっと表示してくれるものはなさそうなので、
そいういうのもあればいいなと思いつつ、

(ドラクエ風のテーマとかはイカしたデザインが実はあったりする)

ほったらかしだったポッドキャスト用のWordpress
とりあえずはシンプル目なデザインに変更してみたり。

 

ちなみに「クラフトインターネット」というコンセプトは
ポッドキャストでもよく登場される小倉ヒラクさんとの会話で生まれたそう。

hirakuogura.com

しかし僕は頑なに他人の土俵を借りることなく、個人ホームページでやってきた。
ブロガー商売でもないので、2020年代における絶滅危惧種のような存在である。
それはなぜなのか。
振り返って考えてみると「環境に左右されたくない」ということに尽きる。

 

インターネットという言葉自体が「クラフト」という言葉と対極的な感じもするが、ネットの歴史が何周もした2020年代、ついにインターネットにも「クラフト感」が求められる時代になったのだ。

 

 

ウェブログ・ハンドブック / レベッカ・ブラッド著』を訳されたyomoyomoさんが、2023年末にあとがきを公開されていたりするのもなんとも示唆的だなと。

www.yamdas.org

重要なのは、ウェブログという手段そのものではなく、それによって何を表現するかということである。ウェブログとは何か、○○との違いは、といった議論はもう終わりにして、各々が選択した、その人が一番力を発揮できる手段で自己表現をする段階に移ってほしいというのが訳者個人の願いである。

 

 

はてなブックマークでもこんな記事が話題になっていた。

www.technologyreview.jp

Web上には、この一見時代遅れのアプローチを復活させようとするプログラマーのコミュニティが点在している。アーティストのローレル・シュヴルストとエリオット・コストが考案した造語「HTMLエネルギー(HTMLエナジー)」というコンセプトに支えられたこのムーブメントは、決してレトロな美学を表面的にアピールするものではない。HTMLをコーディングする触覚的なプロセスに焦点を当てており、この言語がいかに自己表現を促し、Webの分け前を自分のものにする力を個人に与えるかを探求している。

 

しかし、巨大テック企業による独占的な状況にもかかわらず、ある一つの根本的な現実が、インターネットが民主的であるという評判を正当化し続けている。HTMLを使えば、誰でも無料でWebサイトを公開できるということだ。広大なWebには、事実上、すべての人のためのスペースがある。単に、トラフィックの問題に過ぎないということだ。

 

HTMLエネルギーサイトには一元化された情報源はない。偶然の出会いが、駐車場の奥でストリート・アートに出くわしたときような、特別な感覚を与えてくれる。

 

ここで説かれているのはインターネット上の「人間的な感覚」

タイトルに"古きよき"なんて書いてしまったけど、要するに昔あった人のあたたかみみたいなものがあるサイトを求めてるんだろうなと。

 

そういう意味では、
Tumblrなんかはまだクラフトブログやインディーウェブ的なものはたくさん残っている気がする。
(※経営はかなり厳しいみたいだけれど・・・)

www.nejimakiblog.com

 

SNSやnote、ポッドキャスト、ニュースレター、といろんなメディアを経てきたけれど
2024年は自分でDIYする個人サイトの時代が到来する予感。

 

ただ、HTMLで個性的なサイトをつくるのもある程度アートな才能が求められるので、
CanvaみたいなUIで昔の怪しげなホームページを作れるサービスが登場すれば、
わりかし流行る気がするけれど、そんなサービスはあったりするんだろうか。

※ありました。

海外の個人サイト風の個性的なページを作れるサービス「mmm.page」 

 

Wordpressもかっちり&おシャンなサイトを作るだけでなく、
怪しげで気持ちわるいホムペを気軽につくれるようになれば、
また勢いを取り戻せるような気がしている。

 

糸井重里さんが『インターネット的』で書いていたのを引用して、
そろそろ記事を終わろうかなと。

つながりすぎないで、つながれることを知る。こういう関係が、インターネットの上では、リアルに感じられるかもしれません。

 

フォロー/フォロワーやインプレッション数だけでは語れない、
"自分だけが知っているあの個人サイト"、
"「見たい人は見てよ」"的なものが
たくさん生まれるといいんだけれどな、と思いつつそろそろこの辺で。

 

※追記(2024.2.1):

手作り感あふれる個人サイトを作ってみました。

nejimaki.me

ドメインはシンプルに「nejimaki.me」に。

www.nejimakiblog.com

 

※追記(2024.2.15):
"クラフトインターネット"という言葉の定義自体、人によって異なるものなので、それぞれ自分なりの"温かみのあるインターネット"を見つけてほしいなと。


どこかでも書いたけど最後にひとこと。

日本において言えば、こういうムーブメントに対して、
"インターネット老人会" 的なノスタルジーのみに帰結せずにいてほしいし、

"クラフトインターネット"も単なるバズワードに終わらずきちんと自分のページを管理する流れが続いてほしいなと。

 

個人ブログを取り戻せ! -Fediverseとブログのこれから