人工知能とブログのこれから
生成AIのちからで数秒でブログが書けるといわれる時代。
いちブロガーの端くれとして、
やはり「人間にしか書けない文章」とか「自分が人力で文を書く意味ってなに?」
みたいなのはさすがに考えざるを得なくなってきている気がする。
・・・ということで、僕が過去のブログ記事を振り返って、
これはAIには書けないだろうな、みたいなものをいくつか挙げていこうかなと。
(過去記事をペタペタ貼っていきます)
「体験系」の記事として思い浮かんだのはまずこの記事。
"『君たちはどう生きるか』をみたもやもやを抱えて箱カラオケに行く" とか、
周りの人の反応とか、こればっかりは体験しないとわからないことかなぁと。
このブログでたまに書いている「やりたいことリスト」系記事。
AIには"心の底からの欲望というものがない"、
とよく言われることもあって、
そういうものの過程を書いているのは人間っぽいかなと思わなくもない。
旅行系の記事も、なんだかんだ人間が書くものの方が面白い。
ラッキーな体験だったり、ハプニングが起こったり、みたいなことも、
結局はその人の視点で見たものだからこそ面白いし、
「なんでもないけどよかった記憶」みたいなのは人間だからこそ書ける気がする。
純日記系の記事も同様。
さすがに人工知能には日記的なものが書けたとしても、
それはあくまで機械が生み出した"それらしいもの"というだけ。
「人とどういうことを話した」みたいなことは、
即興×即興×・・・ということになるので、
なんでもない会話から生まれたものは、AIで再現するのは難しいと思う。
あとはやっぱり、苦労することなく人間臭さを届けられる、
ポッドキャストや動画が流行るのは納得だなと改めて思う今日この頃。
フェイクグリーンは、いくら生の植物やお花にそっくりでも、
命は1mmも宿っていないし、あくまでフェイクでしかないのと同じように。
はてなブログのトップページは、
編集部の人の目を通して選ばれた記事なんだそうで、
今だからこそ、ちゃんと続けてほしいなと。
"経験則"、みたいなものは、やっぱり人から聞かないと意味がない気がする。
機械の"経験"を読んだって、
いろんな人の体験を集めたものでしかないし。
そういう意味では、現実世界の「飲み屋さん」という場所がより大切になるのかも。
(現時点で) ロボットは日常的に服を着ないので、
こういう人間くさいところは代替できない気がする。
人間の好みや直感みたいな部分は、まだまだヒトの方に優位があると思う。
思い出系・ノスタルジア系の記事は、
AIにはなかなか難しいような気がする。
人工知能がまだ発達してなかった時代の五感の記憶とか。
五感(目・耳・口・鼻・肌)まわりのあれこれは、
まだまだ人間に優位があると思う。
あーでも、過去のブログ記事やツイートから、
みんなの香りの感想を集約して、
香水を自動生成して・・・ みたいな未来はあり得るのかもね。
人間のみる"幻想世界"って、案外ロボットには再現しにくい気がする。
あくまで個人的な予想を書くと、
10年後ぐらいは、みんな日常的にトリップしている気がしていて、
そうして五感をブーストしないとやってられない日が来るんじゃないかと。
あと「夢」の分野も人工知能が代替するには難しい気がするな。
(・・・と思ったけどAIは"ハルシネーション"をしょっちゅう見るし、
どうなんだろうね、専門家じゃないのでわからないです)
中毒性、という欲に深く関わる部分。
機械に"依存すること"がどれぐらい理解できるんだろう?
昔書いた記事なので、文章が雑だけど、
こういうの(元のReddit投稿)もたぶんAIには書けない気がする。
なのでレディットがGoogle検索で重視されてきているのもそういうことなのかな?
あと「愛」って"人間だからこそ"、みたいな残されたフロンティア感がある。
・Redditが日本語訳されてグーグル検索の結果に表示されることが増えた。
ということで、そろそろ過去記事を振り返っての結論。
- 単なる知識・情報ベースなことだけを書いても仕方がない
- 感情をのせたものは人間らしさにつながる
- 愛や欲望をあえてさらけ出していく
- 五感を使って感じたことを書く
- 体験しないとわからないことを伝える
- ノスタルジアや過去の振り返りもいいかも
- 自分としての一貫性を生み出す
こうやって箇条書きにすると、いかにもChatGPTに相談したみたいな感じになるけれど、「そんなチートはしてませんよ!」とあえて書いておこうかなと。
結局のところ、「この人が書いているから読みたい」となるのが一番良いと思うので、
「いつも通り自分らしく書くのがいいのかも?」
・・・という身も蓋もない結論にたどり着いたのでした。
最後になるほどな、と思ったツイートをいくつか。
生成AIで読み書きが10倍速になるのが嬉しいのは、本当は書きたくないものを書き、本当は読みたくないものを読む場面においてだろう。
— R. Maruyama (@rmaruy) 2024年6月19日
高木さんのnoteで思ったこと。世の中には何らかの状況によって「書かされる文章」が多く、読み手も書かされた文章を読まされているうち、書き手も読み手も熱量が下がっていく。Academic Twitterやブログ、学術書(の一部)が良いのは、書きたくて書かれたものを読みたい人が読んでいること。
— R. Maruyama (@rmaruy) 2024年6月19日
・・・ということで、
これからも人間臭く、好きなことを好きなように書いていこうかと思います。